8.ヤングリビング ゲリー・ヤング Story

ヤングリヴィング社の創設者ゲリー・ヤング氏はもう結構な年齢ではありますが、まだまだ積極的に活躍している現役です!

セラピーグレードのオイルが採れる植物を求めて、元気に世界中を飛び回っています。


大きな成功を成し遂げた創業者にはつきものと言えるほど、幼少の頃から苦労が絶えなかったとか、何かしら大きな問題を克服したというような、皆んなが共感するような歴史があったりする事が多いのですが、ゲリー氏にも壮絶とも言えるストーリーがあります。

それを乗り越えられた事自体が奇跡とも言える大変な事なのに、そこから今のヤングリヴィング社の状況を築きあげたまでの成功は、もう神の仕業としか言いようがありません!!

実際にお会いすると、日本人としても小柄なくらいに西洋人にしては、かなり小さな方ですが、そのオーラというか、エネルギーというか、やはり『持ってるな〜』なハートはとっても大きな方でした。

小柄ですが体格がいいのでスーツもバッチリお似合いですが、なんと言ってもテンガロンハットにジーンズスタイルというファーマー姿で広大なファームに居る姿の方が、よりピッタリマッチするお方です。

【人に歴史有り】

アイダホ州チャリスの山の中、電気も水道もない小さな丸太小屋で貧しい子ども時代を過ごしました。

18歳になると、ほとんど家出状態で、ブリティッシュ・コロンビア州カリブー地域の最後の入植者としてカナダに移住しました。

彼は、素晴らしいカナダの大自然の中で“木こり”として成功し、大きな農場を経営する夢を持っていました。

大自然への愛着や厳しい山々に囲まれた大自然の中での生活は、その頃からずっと、ゲリーの人生にはなくてはならないものだったのです。


順調に成功への道を歩んでいたゲリーでしたが、ある大雪が降った日の翌朝、たった一人で木の伐採を始めてしまった24歳のゲリーにアクシデントが起きました。

木が倒れる時に、枝に積もっていた雪がどんどんあらぬ方向に積もってしまい、それが原因で大木が思いもよらない方向へ、ゲリーの頭の上に倒れてきてしまったのです。

幸いにも(?)前日の大雪で積雪が数メートルあり、ゲリーはそのまま雪の中に埋もれてしまいました。

もし、雪が積もっていなかったらゲリーはぺちゃんこに潰されて生きてはいなかったでしょう…しかし、もし、雪が積もっていなかったら、木があらぬ方向に倒れてくる事もなかったでしょう。(木こりとして経験も積んでいたゲリーは、ちゃんと木が倒れる方向を計算して木を切っていたので)


命こそ助かりましたが、その大事故で彼は半身付随になってしまいます。


病院のベッドに寝たきりになり、痛みと、何もかも失ってしまった絶望感との狭間で、ゲリーは死ぬ事ばかり考えていた時もあったようです。

ある時、同室の人が聖書を読み始め、その人はゲリーにも神の恵みを得て欲しかったのでしょう、交互に読む事を提案してきました。

しかし、ゲリーはそのタイミングになると、いつも寝たふりをしてやり過ごしていました。

なぜなら、子ども時代にとても貧しかったので学校へ行かせてもらえず、実は大人になっても読み書きが出来なかったのです。

そんな二人のやりとりを側で見ていた看護師の一人がゲリーが文字の読み書きが出来ないのではないかと気づき、「あなたの手助けをしたい」と申し出てくれて読み書きを教えてくれました。

ゲリーの困っている人には手を差し伸べ『チャンスを与えてあげたい』という発想は、きっとこの時の深い感謝の念も関係していると思われます。


その後も車椅子の生活を余儀なくされたゲリーは、ウツと無力感に苦しみました。

「あなたは一生車椅子でしょう」と、もう歩く事はできないと、西洋医学での限界を告げられていたのです。

酷い痛みとも戦い続けていたゲリーは『車椅子を使わずに済むようになる』か、『人生を投げ出す(死を選ぶ)』か、の二つに一つの選択肢の中で『自分の人生をこのままでは終わらせない!』と決意します。

障害があっても『可能』だと予め言われた事だけをこなす事だけが全てではないはずだ!と気づいたのです。

脊椎のほとんどがバラバラ折れてしまったほどの大事故から2年が経過した頃、ますます酷くなる頭痛とウツで苦しむゲリーは、自然療法に目を向け始めました。

レモネードとジュースの食事療法を始めて1年が過ぎた頃、ゲリーのつま先がかすかに動くようになりました。

そこに希望を見出せたゲリーは、さらに栄養と代替え療法の知識を次々に習得し、治療を進めていきました。


ゲリーは学校に通い始め『健康と人体』に関する複数のコースを履修し、さらに大学では『自然療法と栄養学』の学位を習得しました。

この頃は車椅子を使わずに松葉杖を使って歩けるくらいになり、最後には補助無しで歩けるようになってはいましたが、相変わらず酷い痛みは続いていました。

しかし、健康を取り戻したゲリーの元にはアドバイスを求めて大勢の人が集まってくるようになり、この経験を元にクリニックを開きました。

そして、大事故から13年経った時、始めてセラピーグレードのエッセンシャルオイルを知る事になります。

クリニックで患者にもオイルを処方し、自身もオイルを試していました。

すると、ずっと悩まされていた『痛み』が劇的に緩和され、身体が動くようになりました。

さらに13年後、ゲリーはハーフマラソンを完走するまでに回復する事ができたのです!


この経験から、ゲリー自身が経験し恩恵を受けた自然療法を人々にシェアしたい!

そして、さらにエッセンシャルオイルの癒しの効果を勉強したい!という強い思いを抱く事になりました。


農家に生まれ、育ち、木こりとしてのキャリアもあるゲリーは、エッセンシャルオイルの材料となる植物に必要なものが何なのかを、誰よりも簡単に見分ける事ができます。

ゲリーは、とくに『土』へのこだわりは強く、良い土壌の大切さを熱く語り、植物の生命力をそのまますっぽりボトルに詰めるにはどうしたらいいか…という事を朝から晩まで考えている方なのです。


エッセンシャルオイルで人々を癒し、人々に手を差し伸べ力になりたいというゲリーの強い想いは、彼の熱い情熱と使命として、ヤングリヴィングの活動を通して確実に世界に広がりを見せています。


大量生産&大量流通で利益追求型のアメリカのマーケットでは、セラピーグレードの精油は探しても手に入らない事を知ったゲリーは、自身の手で作る事を決めたのです!

フランスから、純粋なラベンダーの種をこっそりブーツのかかとの中に隠してアメリカへ持って帰ってきたという序章から新たなストーリーが始まりました。

8分の1エーカーの試作場から始まった彼の農場は、エクアドルのグアヤキル農場、アメリカ・アイダホ州のセントマリーズ農場、ハイランドフラット農場、フランスのスィミアン ラ ロトン農場、オマーン サラーラのサラーラ農場と、そして昨年オープンしたクロアチア農場と、年々拡大しています。

急速に増加している世界中のヤングリヴィングの愛用者に、最高級のサラピーグレード精油を提供するために、様々な種類の植物や灌木、樹木、花が、ヤングリヴィングの自社農場で栽培されています。


そして、


自然を守りながら、地球環境や平和に貢献しながら、貧しい国や地域で家が貧しくて学校へ行かせてもらえずに教育を受けられない子ども達に『教育の機会』という手を差し伸べ、豊かになるという『チャンス』を与え続けています。


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